12月24日(月)
クリスマスおめでとうございます!
皆様はどのようなクリスマスを過ごされましたでしょうか?
僕は本当に忘れられないクリスマスになりました!
被災地に何かしたいと重い帰国したにもかかわらず、声の治療のこと体調不良を理由に何もできなかった、いやなにもしなかった自分を腹立たしく思っていましたが、声も体もそして仕事も少しずつではありますが安定してきたので、自分の中に余裕ができてきたのかもしれません。
何かしたい!という思いで、クリスマスになにかボランティアをできないかと思い、福島の同級生、カトリック教会の方に連絡をとり、福島に行くことにしました。
4時に起床して18切符で東京を4時40分に出発。
埼玉、茨城、栃木を通過して郡山市に。
18切符はどこで下車してもいいので、展望台まで行って景色を楽しみました。
そして会津若松に向かいます。
途中から雪景色に変わり、とても風流でした!
会津若松では観光用のバスで役1時間、城下町を一周しました。
そして再び郡山を経由して二本松へ。
二本松の教会に歌いに行くとお約束していたからです。
16時からのミサの20分前に到着して、オルガニスさんと簡単に合わせをして、生まれて初めて一人聖歌隊をしました(笑)。
一人では聖歌隊とはいえませんね(笑)。
そして教会の方とそのままクリスマス会。
持ち寄ってこられた家庭料理が美味しかった!
ここに二本松は福島氏の南車で20分くらいのとこ炉ですが、風向きの影響で原発のあるところから流れてくるので、空気中の放射能の濃度は周りの地域に比べて高いそうです。
でもそんな方達が笑顔でいらっしゃることに感銘。
御礼にではないですが、たくさん歌わせていただきました。
そして!そこに同級生の半田君が乱入(笑)!
彼は小学校のとき、広島少年合唱隊で一緒で、そのあと中学校から彼が実家のすぐ近くに引っ越してきていたので、学校は違うものの時々会う機会があり、最後に会ったのは広島のジムのサウナでしたが(笑)、10年ぶりにここ福島で再会することができました。
自分が日本に帰ることを決めたとき、彼が福島に住んでいたので、まず彼に電話をして相談に乗ってくれた男です。
そして現在彼は福島でひまわりプロジェクトの代表をしています。
http://www.sunflower-fukushima.com
そして彼とも2重唱したりしながらクリスマス会を楽しみました。
そして彼の車で向かった先は、再び郡山(笑)。
今日3回目の郡山です。
そして向かったのは、郡山駅前のローソン(笑)。
日本一の売り上げを誇りローソンらしいのですが、店の外でクリスマスケーキを4人のサンタさんが、寒い中一所懸命売っています!
そこでも一曲歌いました!
その次に向かったのはしゃぶしゃぶやさん(笑)。
しゃぶしゃぶ屋さんのクリスマスイヴェントでクリスマスソングを3曲歌いました。
スタッフのトナカイさんやサンタさん、そして店の外では花火を打ち上げるフィーバーぶり!
福島元気すぎる!
何だこのエネルギーは!
放射能によってある意味広島と近い状態にあり、そんななから生きる力があふれている現在の福島の状況を見て、広島も廃墟からこうやって復興したのかなとか、いろんなことを考えました。
そして美味しいしゃぶしゃぶを食べた後、車で福島市へ。
衝撃的なものを見ます。
なんと公園が屋内にあるのです。。。
子ども達が安心して遊べる場所がないとのことからビルの中に公園があります。。。
砂に放射能が混じっているため、子どもが外で遊べないのです。
とてもショッキングな光景でした。
そして福島市内のバーで、半田くんの友人達と遅くまで飲みました。
ピアノがあったので弾き語りしたりBGMを弾いたり。
僕にできることは音楽しかありません。
こんなことで喜んでもらえるのであればいくらでも演奏します!
そんな思いでクリスマスソングを演奏しました。
ここ日記には出来事だけを書いていますが、福島の現状をたくさんお話してもらいました。
放射能の恐怖の中で生きていることを皆さん態度に出されませんが(特にクリスマスのお祝いムードだったからか)、普段の生活はすさまじいものだということが予想できます。
仮設住宅もまだまだあります。
原発の周りはまだ人が住むことは到底できません。
自然の災害による被害ではない、人間が作り出したもので、生活や基本的人権が脅かされることはどれだけ不幸なのでしょう。
広島がそうであったように、人が人でないのです。
広島は敵国がやったことではありましたが、福島の場合はそれを同胞が作っています。
いままで世界のいろんな国の人と交流してきて確信できることの一つに、人間は愛と健康と文化があれば豊かに生きていくことができるということです。
電気も、経済も、お金も、必要不可欠なものでは決してありません。
もちろん極端なことを言っているのは承知ですが、自然と共存できる世界になるように時間を掛けてでも進んでいってほしいなと思いました。